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イタリア共和国マッテオ・レンツィ首相による特別講演

2015.8.5

8月3日、東京藝術大学は、イタリア共和国のマッテオ・レンツィ首相による、日本とイタリアとの文化交流をテーマとした特別講演を開催しました。

今夏初めて日本を正式訪問されたレンツィ首相は、日本滞在中に文化芸術についての講演を是非行いたいとご希望されており、そのご意向を受けた本学・宮田亮平学長がレンツィ首相をお招きしたことで、この度の特別講演が実現しました。

はじめに

盛夏の太陽が照る中、本学・上野キャンパスに来訪されたレンツィ首相は、宮田学長や青柳正規文化庁長官をはじめとする多くの教職員や関係者による出迎えを受け、音楽学部邦楽科教員による篠笛と小鼓の演奏を背景に、講演会場となる講義室へと入られました。

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宮田学長は「首相閣下にご講演いただくことは、東京藝術大学として誇り高いことです」と述べ、本学の前身である東京美術学校に大きな影響を与えたイタリアの画家・アントニオ・フォンタネージ(Antonio Fontanesi, 1818年 – 1882年)や彫刻家・ヴィンチェンツォ・ラグーザ(Vincenzo Ragusa, 1841年 – 1927年)の名前を挙げ、その頃より始まった日本とイタリアとの文化交流の次なる一歩としてこの講演が行われることに大きな感謝と期待を表し、挨拶の言葉としました。

マッテオ・レンツィ首相の講演概要

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初めにレンツィ首相は、イタリアにとって日本は非常に関心の高い国であり、商業にとどまらず様々な分野で交流関係があることを挙げ、特に文化という重要なテーマについて首相の口からより一層語られるべきであるとして、「東京藝術大学における講演の機会を嬉しく思う」と述べました。

首相は、フォンタネージやラグーザに加え、ジョヴァンニ・ヴィンチェンツォ・カッペレッティ(Giovanni Vincenzo Cappelletti,1843年 – 1887年)やエドアルド・キヨッソーネ(Edoardo Chiossone, 1833年 – 1898年)など、様々なイタリアの芸術家が「お雇い教師」として明治期の日本にやってきたことを紹介し、まさにその影響を受けた東京藝術大学において、日本とイタリアとの文化交流が始まったのだと述べ、そうした歴史を振り返った上で、「私たちの文化のなかに私たちのアイデンティティを見つけていくことが今ほど大切なときはない」と強調しました。

その一方で、日本とイタリアの両国には、「その素晴らしさを前にすると戦慄を覚えるほどの、畏敬の念と恐怖さえ覚えるほどの文化と歴史的伝統を有しているという共通点がある」としたレンツィ首相は、素晴らしい過去をもつことが、もっと素晴らしい未来をつくっていくことを難しくしている点を指摘しました。前職としてフィレンツェの市長を5年間務めたレンツィ首相は、市庁舎であるヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)が、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロに関係の深い場所であることを引き合いに出し、そうした遺産に触れる経験が偉大な過去を感じさせ、逆に偉大な未来をつくっていくことを難しくしているように思うと話しました。

首相はそうした懸念について、「師を凌ぐことのない弟子は悲しい」というレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を引用し、自分が教わったことや自分に教えてくれた者を超えていくことは困難なことだとしながらも、イタリアや日本では、それをやっていかなければならないとしました。そして、会場に集まった学生たちに対して、「自分の師匠に教わった以上のこと、彼らの残した足跡を超えることを目指し、そのことを喜びと考えてほしい」と伝えました。

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次に、レンツィ首相は、私たちはすべてのものを経済的評価・価値によって測ってしまう時代に生きているように思うと述べ、「確かにそうした要素は重要であるが、それだけでは足りない」と指摘しました。そして、そのことに私たちが気付くのは、私たちの大切なものが脅かされたときであるとし、テロリズムによる文化に対する攻撃について話しました。

首相は、チュニジアのバルド国立博物館での悲劇、ケニアのガリッサにおける大学等襲撃、パキスタンのペシャワールにおける学校での事件、フランスのパリにおける新聞社に対する攻撃など、ごく最近に起きた事例を挙げ、様々なテロ活動が文化のシンボルである場所を襲っており、私たちのアイデンティティを表している場所がテロの対象となっていることを嘆き、それは、テロリズムが文化を攻撃していることと同じであると語りました。

そうしたテロに対する堤防をつくる必要があるとした首相は、イタリアと日本との関係を示し、両国間には文化交流があったからこそ経済的・貿易的な活動が進み、困難な状況に陥ったときでも互いに敬意を払うことを忘れず、文化を大切にする姿勢を失わずにいることができたのだと述べました。

イタリアと日本が同じように並んで道を歩き、第二次世界大戦の後も同じように前に進み、1960年のローマ五輪があり、1964年に東京五輪が行われ、そして2020年にはまた東京で五輪が開催され、2024年の五輪についても再びローマが候補地になっていることを紹介したレンツィ首相は、「文化が進んできた道、日本とイタリアが進んできた道は信頼できる」と説きました。

5年程前はクラシックバレエの発表会の舞台にもなっていたシリアのパルミラ遺跡が、2015年にはイスラム国の少年兵による捕虜殺害の舞台となってしまったことを取り上げ、美しい遺跡が平和のシンボルから破壊のシンボルになってしまったことについて、「芸術を学び、音楽や美術を愛し、美しいものを見て感動する皆さんが、このような悲劇的な状況を前にして、何もないフリをすることができるだろうか」と問いかけ、文化の力による働きかけが重要であることを、改めて強調しました。

また、金融や経済は文化から離れた場所にあるのではないと話し、文化は自らの力で発展していくことができるとしつつも、例えば金融と経済によって若い学生に奨学金などの可能性を与えることで、文化がより発展するとし、併せて、ローマにあるピラミッドの修復作業が日本企業からの支援によって実現されていることにも触れ、感謝の言葉を述べました。

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続いてレンツィ首相は、来年(2016年)に日本とイタリアが修好通商条約を締結してから150周年記念を迎えることに関し、サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli, 1445年 – 1510年)やジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi, 1890年 – 1964年)の展覧会や世界で最も大きな考古学発掘現場であるポンペイ遺跡についての博覧会を企画しており、加えて、イタリアオペラ界の最高峰であるスカラ座が来日予定であることを話しました。

そして、2016年に向け、イタリアは若い日本人の学生を受け入れる準備があるとし、東京藝術大学の国際交流協定校であるミラノ工科大学やトリノ工科大学はもちろん、他の大学も含め、デザインや職人的な工芸の分野について、できるだけ投資をしたいという考えを示しました。

最後に、会場に集まった学生たちに対し、13世紀のフィレンチェで活躍した画家であるチマブーエ(Cimabue, 1240年 – 1302年)とジョット・ディ・ボンドーネ(伊: Giotto di Bondone, 1267年頃 – 1337年)の師弟関係について、師匠のチマブーエが小さなハエを追い払おうとしたが、そのハエが本物ではなく、ジョットのいたずら描きだと分かったとき、チマブーエは自分の弟子に追い越されたこと認めた、というエピソードを述べ、「皆さんはただの紙切れ一枚(卒業証書)のために勉強しているわけではない。美しさを見て、美しさを楽しんで、美しさを味わって、美しさを学んでください。さもなければ自分の師匠を超えることはできない」と激励の言葉を投げかけました。

そしてレンツィ首相は、「文化に関する経験は、自分の人生のちょっとした出来事でなく、自分のものの考え方、世界観の一部である」と述べて、講演を締め括りました。

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おわりに

おわりの言葉として、青柳文化庁長官から、レンツィ首相に対する厚い感謝が伝えられました。青柳長官は、自身がローマ大学への3年間の留学経験を持つこと等に触れ、イタリアから数限りない偉大な価値をいただいたとし、今現在のためだけでなく、未来のために、互いに尊敬する関係がより強力なものになるように努めていくことの必要性を述べました。

最後に、宮田学長が、自身の作品である金杯をレンツィ首相に手渡し、また、レンツィ首相から宮田学長に記念の品が贈られた後、日本とイタリアとの今後のさらなる文化交流に向けた、固い握手が交わされました。

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