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ジャン・マルク・エロー フランス前首相の特別講演

2015.10.23

去る10月19日(月)、東京藝術大学はフランス共和国前首相/前ナント市長であるジャン・マルク・エロー氏をお迎えし、本学学生・教職員・一般の方を聴講者とした特別講演を開催しました。

本講演は、文部科学省による「スーパーグローバル大学創成支援事業」採択機関である本学が、大学の国際性を高める取組の一環として、世界で活躍するグローバル・リーダーを特別講師にお招きしたものであり、エロー氏には23年間のナント市長在任期間を通じて推進した「文化による都市再生」について語っていただきました。

ジャン・マルク・エロー氏の略歴

1977年~1989年:サン=テルブラン市長
1989年~2012年:ナント市長
2012年~2014年:フランス共和国首相

はじめに

秋晴れの上野キャンパスに来訪されたジャン・マルク・エロー氏は、本学・松下功副学長に迎えられ、構内の池を泳ぐ鯉を眺めてから控え室へと入られました。

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控え室では、本学・宮田亮平学長と懇談をされ、学生の進路やフランスの勲章のことが話題に挙がり、エロー氏から「学生は卒業後にどうするのか?アーティストになるのは難しくないのか?」と質問を受けた宮田学長が、「自分がなりたいと思って好きな道を志すのだから、難しくはないでしょう」と答える場面もありました。

その後、贈答品の交換を行い、直筆サイン入りの書籍を拝受した宮田学長が、自身の制作した馬上杯をお贈りすると、エロー氏は「日本のお酒は美味しくて好きです。冷酒も好きなので、早速今日使います」と、大変喜ばれました。

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そして定刻となり、講演会場へと入られたエロー氏は、本学・音楽学部教員による歓迎の演奏(三ツ橋勾当作曲「松竹梅」)を鑑賞された後、講演台へと登壇されました。

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講演の概要

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「国際的に知名度を獲得しているこの大学で、私の経験をお話できるのは、非常に名誉なことです」と挨拶をしたジャン・マルク・エロー氏は、導入として、この度の講演の位置付けについて述べられました。

2017年にフランスのナント市で「日本のアール・ブリュット展」が開催されること。それは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックとも連関した動きであり、来る東京五輪は、日本の文化的な側面を世界中に見せる機会であること。そして、この講演のテーマは、そうした局面を迎えている日本に対し「文化による都市の再生」というナントの事例とそれを先導した市長としての経験を紹介することであると、エロー氏から説明がなされました。

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エロー氏は、数世紀前に遡れば大きな港町として栄えたナント市が、時代の波や戦争の余波によって衰退していったことを語り、1989年の市長就任当時の様子を「町は大変な状況にあり、工場が閉鎖し、雇用が減り、人口が少なくなり、希望がなくなった」と表現し、そうした状況下で自身が主導した文化政策を、三つの段階に分けて解説しました。

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第一段階についてエロー氏は、「初めに、それまで欠如していた文化政策を強烈に打ち出し、政治と文化との間に自由な関係を作った」と説明し、様々なアーティストを海外から招き、また、海外に派遣するという施策によって「『世界に開かれた町』というナントの魂を蘇らせ、住民の誇りを取り戻した」と語りました。

エロー氏は、その一環として「レ・ザリュメ;Les Allumées(白夜)」、「ラ・フォル・ジュルネ;La Folle Journée(熱狂の日)」などの芸術祭・音楽祭、また、大道芸集団ロワイヤル・ド・リュクスによる本物の道路を舞台にした劇場パレード( Les spectacles de la Cie Royal de Luxe) を企画・開催したことを、画像を交えて紹介し、盛大なイベントの様子がスクリーンに映し出されました。

そしてエロー氏は、文化政策の第一段階を「こうした取組により、ナントは自分達の本質を思い出し、新しい雰囲気、新しいダイナミズムを生み出すことができた」と総括しました。

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続いてエロー氏は、都市再生の第二段階について、「イノベーションを活用して文化遺産を蘇らせ、堅牢な施設や制度を整備し、比類のない場所をつくった」と説明しました。

閉鎖したビスケット工場を広大なアートセンターとしてリノベーションしたことを代表例として取り上げたエロー氏は、古いものを遺しながら新しいものをつくることの重要性について語り、その他の例として、ルネサンス期の古城を歴史博物館として改修したことや、廃れた造船場をイベント会場として再活用したことなどを挙げ、「すべて壊すのではなく、美しいものを引き継ぎ、また多くの人々が集まる場所につくりかえることが大事だ」と話しました。

加えて、そうした施設はすべてバリアフリーであり、また、そこでは無償のアートイベントが数多く開催されており、障がいがあっても、貧しくても、どんな人でも訪れることができる場所であることを、エロー氏は強調しました。

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そして、第三段階。この段階についてエロー氏は、「より広い地域、大きな都市としてナントを捉えた」と表しました。

ロワール川の河口から東におよそ50kmの地点に位置するナントと、大西洋・ビスケー湾に位置するサン=ナゼールとを連続した地域として意味づけ、多数のアーティストのプロジェクトを風景の中に溶け込ませ、その一帯の文化、産業、生態系の豊かさを包括的に楽しめるように発展させたことを、エロー氏は説明しました。

それは、文化政策を「ナントへの旅」というラベルのもとに集約し、ブランド化する戦略であり、イベントや展覧会を集中的に開催し、ホテル、レストラン、交通機関とも連携した大きな経済効果を持たせる取り組みであり、「これまで投資をしてきた様々な文化的な活動、施設、イベントを効果的に発信し、もっと多くの人をナントに呼び、ナントを発見してもらうことを目的とした」と、エロー氏は語りました。

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エロー氏は、これら三つの段階を経て生まれ変わったナント市について「様々な国際的メディアがナントを話題にしている。ローカル、リージョナルなメディアもすべてのイベントを報道している。人々がナントについて話すときは、文化的、自然豊か、住みやすいなどの良い形容詞が必ず付いている。ナントへの観光客の数は右肩上がりで、企業や商店は、文化政策に投資することに最初は否定的だったが、いまではメセナとして肯定的な活動を行っている」と述べ、長期にわたって推進した文化政策の成果を強調しました。

そしてエロー氏は、「市長の役割は、誰かの代わりをするのではなく、リーダーとして皆を率いて、パートナーとお金を集め、政治的な選択をすることだ」と語り、ナント市全体の予算の12%を文化政策に投入していることを引き合いに出し、「そうした政策を選択することには大きなリスクが伴うが、最終的には有権者・市民の信頼を得ることができた。大きな野心、大きな目標を掲げることが重要であり、リスクを冒して前進をすることが大切だ」と話しました。

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最後にジャン・マルク・エロー氏は、ナント市の紋章に掲げられた「FAVET NEPTUNUS EUNTI(海の神は冒険する者を好む)」という標語を挙げ、「ナントがナントらしくなったことを嬉しく思う。これこそがナントの魂だ。私としても、ナントの魂に忠実でありたかった」という言葉で、講演を締め括りました。

質疑応答の概要

講演後、エロー氏は、聴講者からの質問にひとつひとつ答えられました。
ここでは、その中から幾つかを取り上げ、紹介します。

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Q.全体の12%という文化予算を決定するにあたって、どのような方法でコンセンサスを得たのか?
(質問者:東京藝大美術研究科先端芸術表現専攻の学生)

A.まず、図書館と本にお金をかけるなど、教育や学校に結びつけることでコンセンサス得た。また、例えば、町から一番離れたところにいる人たちも来ることができ、古典音楽に興味がない人たちもクラシック音楽のアーティストと話すことができるような場をつくった。話し合いの場をつくることが、政治家の役割だ。

市民との議論ができる条件を整え、選挙と選挙の間に、色々な形で参加型民主主義のツールを提供し、住民の関与を促した。表現の場を与えた。とにかく議論を重ねて、平たいコンセンサスではなく、ダイナミックなコンセンサスを得ることが大切だ。

Q.日本では、「日本の美」を再定義しよう、という動きがあるが、ナント市あるいはフランスとして、国家的な美を定め、プロデュースしようという動きはあるか?
(質問者:東京藝大美術研究科芸術学専攻の学生)
(※フランス国旗の配色にあわせてコーディネートした服装で参加)

A.何が美しくて何がそれほど美しくないかを定義することはしない。それは個人の好みだ。

確かに私は文化政策に携わってきたが、美術館にどの絵画を展示するか、といったことについては、個々のアーティストの独立性や自律性を尊重した。長年仕事をするうちに、そうしたアーティストとの連帯感が生まれてきた。芸術的な提案はアーティストが出すべきであり、その後にパブリックが選ぶ。私は予算上の選択はするが、美学的な観点での選択はしない。

ただ、政治家として、ひとつの国の歴史に対して意味を与えることは大事だ。革新的な取組のためには、価値が必要だ。ヒューマニズム、人権、連帯、マイノリティ、多様性の尊重といった価値を基軸にする必要がある。それは共和制フランスの価値であり、第二次大戦後のヨーロッパの価値でもある。何が起きようと、そうした価値は維持しなければならない。

Q.昨年まで交換留学でナントに行っており、素敵な街で、安心して勉強することができた。ナントは、他では見られない個性的な文化的施設やイベントばかりだったが、そうしたものについて、どうやってアイデアを引き出し、形にしていったのか?
(質問者:東京藝大美術研究科油画専攻の学生)

A.ナントの良い印象を語ってくださり、ありがとうございます。

ナントでは、場所によってインスピレーションが生まれる。港でも、建物でも、パブリックスペースでも、すべてにはルーツがあり、統一性がある。そうしたルーツを神聖視してそのまま遺すのではなく、元の姿を感じながらつくりかえていった。

Q.第一段階、第二段階、第三段階と、長期的に文化政策に取り組まれたということが印象的だったが、一般的に、オリンピックなどの特定のイベントのときは盛り上がるが、その後もその動きを継続していくことは難しいと思う。そうした中、どのように長期にわたって、市民の意識を保ちながら文化政策を継続させたのか?
(質問者:東京藝大美術研究科芸術学専攻の学生)

A.素晴らしい質問。それは課題であり、確固たる答えがあるわけではない。変革の途中で、「あとはスムーズに進むだろう」と安心してしまうことがあるが、そうではない。物事はどんどん古くなっていく。変革は継続しなければならない。常に変化していくのが、命だ。

文化において一番危険なのは、ルーティンや慣れである。常に色々なアーティストを受け入れ、新しい場所を設ける。ナントはそういう町でなければならない。そうした新しいものが私たちを挑発したり、私たちに異議を申し立てたりするかもしれないが、それによって冒険的な試みが続いていく。

Q.文化の恩恵を受ける人、文化に興味を持つ人は、エリートや大学を出た人が多いように思われる。一方で、移民等の数が増える現状において、そうした人々は、傾向として文化政策に興味を示さなかったり、参加しなかったりすることが多いように思う。ナントでは移民等も巻き込むような文化政策をどのように実施してきたのか?
(質問者:一般の観覧者)

A.仰る通り、それは大変難しいことだが、二つのレベルで文化政策を推進することが大事だと思う。

一つは、あらゆる人々が参加できるイベント。例えば道路のような場所を使って無償のイベントを開催すれば、見物料がかからないので、分け隔てなく観客が訪れる。それによって「自分達の居場所がある町だ」と思ってもらうことが重要だ。しかし、無償であっても美術館に来ない人もいる。美術館を訪れるには、教養や習慣がなければならない。

したがって、もう一つは、何よりも投資をしなければならないのは学校であるということだ。学校は、地理や科学などを含め、共通の文化を勉強するところだ。そして、学校で、アートへのアクセスを学ぶ。ゆえに、学校に力を入れなければいけない。それは、小学校の子供たちから始めるべきであり、時間がかかることだが、絶対に必要なことだ。それによって、どんな出自があろうと、どんな道のりを歩んでいようと、皆が空間を共有することができる。違いを越えていくことができる。

社会は均一ではない。格差はある。それは仕方が無い。しかし、社会全体の底上げをしなければならない。すべての人に、機会を設ける。私の親は、私の音楽のレッスン料を払ってくれなかった。私が市長になってまずやったことは、市立の音楽学校をつくることだった。政治は選択であるが、私はそういう選択をした。私が政治参加をしている意義は、そうしたところにある。

おわりに

盛んに質疑応答が続きましたが、終了の時刻を迎えたため、最後は来場者一同でジャン・マルク・エロー氏を囲み、記念撮影を行いました。

世界の先頭に立つグローバル・リーダーをお迎えして開催した今回の講演会が、本学学生・教職員を含め多くの方にとって素晴らしい時間となったことを確信し、また、これを契機として、本学はより一層の国際化を推進していきます。

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