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ASAP実施報告:タイの文化と螺鈿の装飾研究

March 01, 2023

アーツスタディ・アブロードプログラム(ASAP)とは、国際舞台で活躍できる優れた芸術家の育成を目的として平成27年度に開始した、学生の海外での芸術文化体験活動を促進する実践型教育プログラムです。国際経験豊富な藝大教員陣によるサポートのもと、参加学生自らが主体となり、海外渡航を伴う展覧会や演奏会、上映会、研修への参加、協定校への訪問等プログラムを実施します。

実施事業概要

事業名称:タイの文化と螺鈿の装飾研究
実施者:美術学部工芸科漆芸研究室
渡航先:タイ(バンコク)
参加学生数:5人
実施時期:2022年9月5日~9月11日(7日間)

成果概要

今回のプログラムでは、漆芸研究室修士1年5名が参加し、タイ独自に発展した箔絵・螺鈿技術について実習と調査を行った。結果として今後の技術研究及び作品制作に大きく役立つ経験を得ることができた。

文化省伝統技術部では、工房の見学、タイ王国の歴史と文化についての講義、伝統技術実習に参加した。講義ではweeraya juntradee先生による、タイ王国の成り立ち・文化省伝統技術部がどのようにタイ漆芸の保護や継承を行っているかについて解説を受けた。実習では(1)箔絵、(2)炭粉漆で貼るガラス細工の2作品を制作した。実際にタイの漆に触れて、日本の漆との粘度や使用環境(温度・湿度)、扱う道具の違い、また工程における注意事項などを肌で感じ取ることで、文字情報や映像では分からない感覚を体験できた。

文化庁伝統技術部 weeraya juntradee先生、高田先生の解説、箔絵技術実習、炭粉漆によるガラス細工技術実習

タイにおける螺鈿作家の最高峰である2人の先生の工房で見学・調査を行なった。①wanchai lokham先生、②Jukkit suksawat先生、各先生ともに大変友好的で、学生の質問にも丁寧に対応していただいた。工房では、螺鈿作品の解説から制作工程や材料加工まで幅広く説明を受けた。特に螺鈿を切り出す糸鋸は日本では使用されていない形状の手作りの道具で、使用方法から刃の制作まで実技指導を受けることができた。鋸刃が日本のものより扱いやすく、また手作りの道具ならではの工夫も学ぶことで、今後道具を改良する際の参考になった。

 wanchai lokham先生の螺鈿工房調査及び技術指導、Jukkit suksawat先生の螺鈿工房調査及び技術解説

バンコク国立博物館では、タイの特徴的な螺鈿装飾の見学・調査を行なった。これは切り出した細かなパーツの貝を、仏像や器物に精緻に貼り付けていく技術である。時代による作風の変化や、仏教関連の用具への装飾など違いを観察し、解説を受けた。
また周辺の寺院では、巨大な涅槃像の足裏にある螺鈿装飾、実習で制作したガラス細工の装飾、窓の扉の箔絵装飾などを見学した。Wat Ratchapradit(寺院)では江戸時代に日本から輸出された長崎螺鈿の扉を見学した。またその扉を東京文化財研究所の指揮のもと、タイ文化省が保存修復を行なっている工房を訪れ、実際に作業の様子を見学することができた。

バンコク国立博物館作品鑑賞、寺院螺鈿扉調査、螺鈿扉の保存修復見学

移動日を含む6日間の中でかなりタイトなスケジュールだったが、現地の高田知仁先生をはじめ多くの先生方やスタッフのご協力のおかげで、日程以上の調査や実習が叶った。日本の漆芸教育では行われていない技術実習や作品閲覧を現地の雰囲気の中で実施したことで、今後作品制作に応用可能なエッセンスを吸収できたことは、本プログラムの大変な成果である。

体験記

  • 2022年9月5日から10日まで、漆芸の先生方と修士一年5人でタイに行きました。タイでは主に、螺鈿の加飾の制作や修復の現場、博物館や寺院の文化財を見学したほか、タイならではの食事や、街並みの散策をしました。昨今のコロナ禍で海外渡航が厳しく制限されている中での今回の研修は、海外の文化に実際に触れられる非常に貴重な機会でした。
    タイの建築物の外観や内装、調度器具に至るまで非常に豪華に飾られていますが、その「豪華」の基準が日本古来の感覚と違いがあると感じました。日本の漆芸での「豪華な装飾」といえば、一つの手箱に梨子地や高蒔絵・平蒔絵を金で施し近目で見だときに豪華であり、遠目で見ると余白を大事にした図柄が多いです。一方タイでは、全てを模様でびっしりと埋めて、遠目から見てその細かさに圧倒されるような印象がありました。
    この違いを特に感じたのは、寺院です。日本の寺社仏閣は、柱や壁は基本的に装飾がありませんが、タイでは全て模様で覆われていて驚きました。また、日本は建設当時はカラフルだったと言われる部分も、風化による退色をそのまま保存している場合が多く、全体的に渋い色の印象がありますが、タイは非常にカラフルな上、金箔をふんだんに使っています。ワットポー寺院の涅槃像の前に設置してある小さな仏像が、金箔が剥がれた部分に箔を押し直した痕がありました。野外にある金箔の部分もこのように押し直すことで、タイ特有の豪華さを保っているのだろうと思いました。
    螺鈿の模様にも違いがあり、日本はモチーフの自然な姿を捉えていますが、タイは幾何学模様を多く取り入れ、モチーフも図式化していました。タイでは厚貝を使って模様をびっしりと埋めている特徴があることは、タイに行く前から知っていましたが、その詳細や、タイの建築物と一緒に置かれた時の見え方は、実際に訪れて見ないとわからない事だったので、このような機会に感謝しています。(工芸専攻修士1年)

 

  • 今回の研修で初めてタイのバンコクを訪れ、日本とは違った漆の立ち位置を知ることができました。タイ国内に残る寺院や伝統工芸品の多くは、全体が金箔や螺鈿、ガラス細工で覆われた豪奢な装飾となっています。タイにおける漆は、あくまで厚貝やガラスを張るための材料であり、漆液そのものが素材となる場合が少なく、タイに残る漆の黒を生かした作品は、日本など海外からの輸入品が中心であることがわかりました。
    初めに訪問した文化庁芸術部では、寺院や祭祀に用いられる装飾品の数々を間近で見ることができただけでなく、日本とは全く異なる技法での箔絵、ガラス細工を、ワークショップ形式で体験させていただきました。2日目午前、ワンチャイ・ロクハム螺鈿工房で実際に体験させていただいた厚貝を切るための手作りの糸鋸は、信じられないほど切りやすく衝撃を受けました。午後はチャクリット・スクサワット先生の工房を訪問し、タイにおける螺鈿細工の工程を細かく教えていただきました。どちらの工房も同様の紋様を手がけていましたが、前者は伝統を守りつつ簡素化された現代的な技法、後者は緻密で繊細な極めて伝統的な技法と、小さいながらも時代や技術の変化を見てとることができました。バンコク国立博物館では、それまでに見聞きした知識に加え、通訳を勤めてくださった高田先生の丁寧な説明のもと、タイに残る歴史的な工芸品や祭祀具、寺院装飾などを細部にわたって見ることができました。ワット・プラジャディット寺院では、長崎螺鈿の窓扉を見せていただいた後、東京文化財研究所との協働で寺院の窓扉の保存修復を行う工房にお邪魔し、そこで用いられる材料や工程を学びました。また応接室では、タイ伝統のお菓子や飲み物を頂きながら、今後の寺院の保存修復における展望などのお話を伺いました。4日目は、ワット・ポー寺院とワット・プラケオ寺院に連れて行って頂き、ワット・ポー寺院では金箔が貼り詰められた巨大な涅槃像とその足の裏の螺鈿装飾に、日本ではまず目にしないその発想・図案に驚きを隠せませんでした。別名エメラルド寺院とも呼ばれるワット・プラケオ寺院では、その別名の由来となる翡翠の仏像を前に、静かに圧倒されるような感覚を覚えました。
    一度チェンマイに行った経験があったこともあり、今回の研修は非常に興味深いものでした。螺鈿に使われる貝の養殖の状況や、最近ではタイ北部のチェンマイでも漆が採取できることなど、伝統的に作られてきたものでありながら今も研究が進むタイの漆芸には、常に驚かされることばかりでした。通常とても知り得ないような知識を得られ、貴重な経験を数多く積むことができ、とても充実した研修となりました。ただ、タイの漆芸文化において一つ問題と感じたことが、以前チェンマイの大学生と交流した際、若者でもある程度漆の知識がある日本と違い、タイの若者は“漆”そのものをほとんど認知していないように思われたことです。今回、ワット・プラジャディット寺院のお坊さんから、今後の保存修復や工芸技術の向上の助けになって欲しいといったお話を伺い、今後の自分自身の技術向上のモチベーションになると同時に、いつかタイに渡り、タイで作られる漆芸の知識を若者にも広め、タイの漆芸文化向上の力になりたいと考えるようになりました。(工芸専攻修士1年)