ASAP実施報告:グローバルアートにおけるアジア現代美術の現在
December 04, 2018
アーツスタディ・アブロードプログラム(ASAP)とは、国際舞台で活躍できる優れた芸術家の育成を目的として平成27年度に開始した、学生の海外での芸術文化体験活動を促進する実践型教育プログラムです。国際経験豊富な藝大教員陣によるサポートのもと、参加学生自らが主体となり、海外渡航を伴う展覧会や演奏会、上映会、研修への参加、協定校への訪問等プログラムを実施します。 |
実施事業概要
事業名称:グローバルアートにおけるアジア現代美術の現在
実施者:先端芸術表現科、グローバルアートプラクティス(GAP)専攻
渡航先:ベトナム(ホーチミン)、タイ(バンコク)
参加学生数:9人
実施時期:2018年11月(12日間)
成果概要
準備
小沢剛教授によるワークショップを開催し、学生にアジアをどのようにイメージしているかをドローイングで描いてもらった。また小沢教授の取り組む、アジアにおける納豆の存在のリサーチについての説明を行なった。今回の訪問地でも納豆がどのような形で存在するのかを一つの手がかりとして文化の連続性や地域に関して考える。各学生も訪問地について調べてグループSNSの中で情報を共有するなど準備を進めた。
ホーチミンでの活動
ホーチミンでの活動は、戦後70年にあたる2015年に森美術館で個展(本学、荒木夏実准教授のキュレーション)を開催するなど、ベトナムの現代アートシーンを牽引してきた国際的に活躍するディン・Q・レ氏にまず声をかけることから始まった。日本では東京のレジデンス施設トーキョーワンダーサイトにも何回も滞在し、メンタリングやワークショップで後進の指導にも大きな成果を残した(そのレジデンスとメンタリング・プログラムは本事業の今村が企画に関与)。ディン氏に、ホーチミンでのチューターとなってもらうことは今回の事業の成功のカギを握るといってもいい。当時のサイゴンに生まれ育ったディン氏は幼い頃に北ベトナムの進行とともに難民としてベトナムを去り、アメリカで育った。大学時代に映画におけるベトナム人の差別に基づいた間違った表現や理解を目の当たりにして、ベトナムのアイデンティとベトナムの抱える課題を自らのテーマとして作品を作ることを出発点としてアーティストの活動を始め、多くの人たちが帰ろうとしなかったベトナムに帰ることを決断し、帰国しても祖国を見放して逃げたベトナム人として見られながらも、ベトナムでアート活動を続け、世界にベトナムのアートシーンを伝え、アーティストを育成してきた。そのディン氏から学生たちが直接、彼自身の活動や考えを聞くことが重要だと考えプロジェクトに関わって頂いた。このようなアジアの課題と現在を、今も個人の課題として抱えながら制作を続けるアーティストから直接学ぶことは、今の日本に学ぶ学生にとってとても非常に大切な時間となった。
ディン氏はベトナムに帰って数年後に始めたベトナム初の現代アートセンター「サン・アート」で、人材育成、海外のキュレーター招聘やレジデンスによる国際交流を行ってきた。その施設での活動を経て若手から経験を積み中堅作家へと成長しているトラン・ミン・ドゥックと共に今回のプログラム作りにも参画してくれた。
ホーチミンではまず「サン・アート」を訪ねてディン氏の話を聞き、次にサン・アートの活動について話を伺った。その後、ディン氏の勧めで戦争証跡博物館(War Remnants Museum)を見学、その他フランス植民地時代の歴史的建造物などを見学した。小沢先生も藤田嗣治の戦時中の活動に詳しく、日本の植民地化における展覧会開催の際に藤田が訪れた場所を探して訪問するなど、ベトナムの近代史と日本の近代史を合わせて見ることができた。
翌日は、ディン氏が設立したホーチミンの新しいアーティスト・イン・レジデンス施設「A・FARM(Animal Factory)」を訪問。滞在アーティストから話を伺うこともでき、アジアでのレジデンスのについて学ぶことができた。(教員側では、このようなアジアのアーティスト・イン・レジデンスに卒業後に滞在できるようなステップを作ることも意義あるのではないかということになり、運営側とも協議を行なった。)その後、元サン・アートのディレクターで2019年3月から開催されるシャルジャ・アート・ビエンナーレのキュレーターの一人であるゾエ・ブット氏がディレクターを務めるアートセンター「The Factory」を訪問。民間による新しい現代アートの施設で、ファッション界で活躍するオーナーによる施設は、現在のベトナムの現代アートの隆盛を物語り、今後のますますのアート基盤の充実が望まれる。最終日は、各自がこれまでのレクチャーやツアーで経験したことをもとに、自らの課題や新たな発見に基づいて各自でリサーチを行なった。街を探索したり、郊外に足を伸ばして郊外を探索するなど、それぞれの活動を行なった。
ホーチミンにおいてはディン氏というアーティストの存在と彼の活動を通して、ベトナム戦争の歴史とそれがもたらしたもの、それを日本やその他のアジアの国々の歴史と立ち位置と重ね合わせるなど、人間の歴史が抱える問題と同時に一個人が向かい合う歴史という二つの歴史について深く考えさせる機会となった。
バンコクでの活動
バンコクでの活動は大きく二つ。東京藝大の国際交流協定校であるシラパコーン大学との共同授業とタイのアーティスト、ウィット・ピンカンチャナポン氏によるワークショップである。
シラパコーン大学は積極的に東南アジアにおける大学連携を推進しており、同時に日本の美術大学とのさらなる連携を模索している。今回の連携のパートナーは彫刻のジャカパン教授で、東京藝大では彫刻の木戸修元教授と在職中から交流があり、双方の事情をよく理解して頂いていると同時に、ご自身がドイツへの留学経験もあり、ドイツ語と英語が堪能で学部長の右腕として大学の国際化の推進を担っている。また、アート界でのネットワークも人望もあることもパートナー選出の重要な点であった。
今回の共同授業は、週末を含めた3日間とし、タイで初めてのオフィシャルなビエンナーレであるバンコク・アート・ビエンナーレのテーマである「Beyond Bliss(至福を超えて)」をテーマとし、それに基づいてバンコクの街をリサーチして、アート・プロジェクトの提案をグループでするというものとした(添付資料参照)。初日に、芸大生とシラパコーン大学学生へプロジェクトの説明とグループ分けを行い、5グループに分かれてリサーチを行った。バンコク市内のリサーチルートは事前にジャカパン教授から3種類のルートの提案を頂き、学生たちで一つを選んでリサーチを行なった。街のリサーチは1日あり、週末の二日間は独自のリサーチを行い、月曜日午前中にプレゼンテーションの作成を行い、午後に発表を行なった。講評は、芸大の教員2名の他にシラパコーン大学から2名の教員が参加。活発な意見交換が行われた。3日間の短いワークショップであったが、学生たちが積極的に交流を行い、アイデアを出し合い、興味深い案が提案されることになった。短期間のワークショップとしては多くの成果があったと言えるだろう。今後も、このようなワークショップが開催できることを考えてゆきたいと思う。ワークショップ終了後はシラパコーン大学付近の有名な寺院に赴き、シラパコーン大学の学生と交流を深めた。
ウィット・ピンカンチャナポン氏によるワークショップは、多くの大都市の条件である川をリサーチするもので、バンコク中心部を流れるチャオプラヤ川の上流の地域で行われた。その地域はいまだに川と近い関係を持ち、カヤックで川沿いの寺院や用水路を回るなど、日本の河川のように流れの速い河川ではなく、広大な平地を流れるチャオプラヤ川静かな流れの川の存在と人々の暮らしと川との関わりを体験することとなった。建築を学び、アートとデザインの境界線上で活躍するウィット氏ならではの人間の原点とも言える視線を学ぶという貴重な機会を得ることができた。
その後、タイで最も活躍し、国際的な活動を行うジム・トンプソン・アート・センターのキュレーターであるクリッティア・カーウィーウォン氏のレクチャーを聞いた。テーマはアジアそしてタイのアートの概観と、現在のアジアにおけるアートの課題、グローバルサウスの問題に取り組むクリッティア氏の活動と思想を聞いた。夕食には今、タイで最も注目される映画監督ナワポン・タムロンラタナリットも参加し、交流を行なった。
翌日以降はホーチミン同様、これまでのレクチャーやワークショップをベースに各自の課題に基づくリサーチを行った。
体験記
- 自分には初めてのベトナム、タイでしたが、思ったより日本、韓国などの東アジアと文化はもちろん歴史的な観点においても似ているところが多く、アジアという概念に対する自分の認識がもっと広まったのが一番の収穫だったと思います。特にベトナムは植民地の歴史や分断の歴史があり、韓国人として非常に共感できる部分が大きかったです。戦争博物館と統一宮殿を訪れた時はなんとも言えない複雑な気持ちになり、わずか数十年前の戦争という出来事が残した痕跡を観ながら私が想像していた以上にアジアというエリアでのいろんな繋がりを見ることができました。これからの自分の制作においても日本と韓国という両国の関わりにとどまらず、もっと視野を広めてアジアの関係性も参考する必要性に気づくとてもいい機会でした。
また現地のアーティストのアトリエやレジデンスに訪問し、日本とは違う現代アートの環境の話を聞くことができてアーティストとしての土地との関わりや与えられた環境の中で作品を製作し、表現し続けることに対して新たに考えることができました。タイのシラパコン大学では学生たちと一緒にワークショップを行い、結果をプレゼンテーションしました。何よりも同年代の現地のアーティストたちに出会い、お互いの考えを共有した覚えが一番印象的な経験でした。言語の壁で自由にコミュニケーションできなかったり、誤解を招いたりすることもあったのですが、それがあったからこそこれからの海外での活動やいろんな国籍のアーティストたちとの協業へのモチベーションになりました。
約2週間のプログラムの日程に参加して、今まで知らなかった世界に出会い、それを自分の目でしっかり見たという意味で一番このプログラムに参加してよかったなと思います。また新しさが与える刺激と同時に今まで自分がやってきたものへの認識も新たにするきっかけにもなったと思います。現地で出会ったいろんなアーティストたちのように自分もしっかりと自分の世界、アイデンティティに向かい合って表現するアーティストになろうと思いました。(先端芸術表現科)
- 私はこのASAPを通してベトナム、タイそして日本の日常やバックグラウンドの違いを強く感じました。私自身東南アジアを訪れるのは初めての事であり、新鮮に受け止められたと思っています。
はじめに訪れたホーチミンではポリティカルな面を強く感じました。実際にその地では1975年までベトナム戦争が行われていたため、歴史的にも色濃く残っていると言えます。出会ったアーティストの方々もポリティカルな題材を取り上げており、人々の生活がダイレクトに国の情勢につながっているのだなと肌で感じました。アーティストやキュレーターと会話をした際にはこの国では生活と政治の緩衝材が日本よりも薄いという話を聞きました。確かに日本では日常に政治的な事象が溶け込んでいるとはあまり思えません。しかし、間違いなく私は日本の政府の元で生活を送っています。その事に改めて気づかされ、国際関係や生活と政府との関係などさらに考えていかなければいけないと感じました。
バンコクでは宗教の色を強く感じました。バンコクに着き宿に向かう時から街にある寺院が多く目に入り、さらにそこには実際にお祈りをしている人がいて仏教が根付いていることを実感しました。また、学生同士でのワークショップではタイの持つ三大要素について考える機会がありました。それはミュージアムに行った際に様々な選択肢を国家、国王、宗教の3種類に分けるというものでした。我々はそれを見ても全く分ける事が出来ない中、タイの学生はほとんど迷う事なく次々と分けていたのです。尋ねてみると当たり前だよと言ってタイの成り立ちや国旗の持つ3つの色はその三種類を表している事など話してくれました。実際、彼自身はキリスト教で仏教徒ではない事を聞いてさらに驚きました。宗教が教育の場で整えられている事や人々の日常の一部になっているのだな日本との違いを感じました。グループでの話し合いでは私が古民家を使ったプランを提案しました。しかし、タイの学生からはあまり好感を持たれませんでした。それはただ作品としての話ではなく、古民家をそのように変えてしまうのはどうなんだろうという意見だったのです。話し合いの結果別のプランとなりましたが国際展や国を跨いでの共同制作の難しさ知ることとなりました。
このASAPを通して私はベドナムとバンコク、日本との違いを実感する事が出来ました。これまで感じる事の無かった新たな環境に入る事で自らが置かれている環境への違和感を知れると思います。この経験を活かしアーティストとしての何が出来るのか考えていきたいです。(GAP専攻)
- 今回のプロジェクトは、私にとってヨーロッパとは違ったかたちの世界のアートシーンが存在すること、またその豊かさを教えてくれるものでした。現在私が在籍しているGAP専攻は、世界最高峰の美術大学と共同授業を行ない、グローバルアートの今を学ぶカリキュラムとなっています。しかし、それがヨーロッパという限られた範囲の大学と実施することから、授業内容に偏りが生まれてしまうことは否めませんでした。今回のプロジェクトではそのカリキュラムを補うかたちで、「グローバルアートとは何か」という問いに関して私に別の視点を与えてくれるものとなりました。
例えばそのうちの一つに、言語の問題がありました。実を言うと、英語という世界基準の言葉をしっかりと身につけなければ海外では通用しない、という固定観念がこのプロジェクトに参加する以前に私の中に強くあったのです。しかし、ベトナムとタイで現地のアーティストや学生と交流するにつれ、その考えに偏りがあることに気づかされます。そこにはあまり英語が上手に話せないけれども、多くの外国人に慕われ、信頼されているアーティストがたくさんいたのです。日々英語の勉強に努めている私にとっては、それは驚くことであったと同時に、自分に自信を与えてくれるものでもありました。というのも、どこまで勉強すれば「英語が話せる」といえるのか、どこまで勉強すれば世界に通用するレベルなのか、日本で勉強している最中は全くわからなかったのです。今後は日本に留まり続けるのではなく、さらに積極的に外へ飛び出し、東南アジアで出会った多くのアーティストのように、私も自信を持ってコミュニケーションをしてゆこうと思います。(GAP専攻修士1年)
- この渡航期間中、様々な物事を日本と比較していた。渡航期間前半、ベトナム・ホーチミンで現地のアート施設や美術館等を訪れた。ベトナム戦争証跡博物館では、戦時中の写真やプロパガンダアートと呼ばれるポスターを数多く見た。現代の日本では事件や事故の記録を撮る者は、仲裁や救出に加勢しろと非難されることが多いが、記録に残すことも世の中を助ける1つの方法として有効なのだろう。また、リアルにこの国の戦争の記録を目の当たりにしたことで、貧困に陥った国でのアートの普及の難しさを想像させ、それは日本のアートシーンに似ているように感じた。
後半はタイ・バンコクでシラパコーン大学の学生と共同で現地のリサーチを行い、それに基づいたアート作品の制作案をチームごとにプレゼンテーションした。2日間に渡りバンコクの街を散策し、その地形や建築物に目を向けた。私にとって何より興味深かったのは街の間に渡る川とそこに暮らす人々の気質だ。バンコクには街の中心に一本の大きな川が流れ、そこから細い水脈が町中に張り巡らされている。日本では多くの場合川は”境界線”となるが、ここでは川の上を常に船が行き来し、土地や人々を繋ぐ役目を果たしているように見える。また、この川や気候に合わせた建築のせいか、人同士の”境界線”も薄いように感じた。こうしたリサーチを元にして、私たちのチームは1つの作品の制作案を提案した。学生の国籍が多様な為に、様々な意見が飛び交った。それをひとつの作品としてまとめる難しさは感じたものの、その国の知り得なかった文化や人々の生活をお互いに知ることができる有意義な話し合いに心を弾ませた。
今回の事業では、その国の歴史や文化を知るだけでなくそれをどう作品として活かすかという積極的な視点を持って過ごすことで、様々な角度から物事が見られたように思う。そういった視点を持って改めて、自分の住む国の文化や暮らしに目を向けたい。(GAP専攻2年)
- 本プログラムはベトナム、タイで行われ、内容は主にベトナム・ホーチミンでのディン・Q・レ氏のスタジオ訪問、タイ国内でのシラパコーン大学の学生との共同ワークショップ、ウィット・ピムカンチャナポン氏のワークショップで構成されました。
ベトナムでは、ベトナムの歴史やアメリカとの関係を日本と比較して考える機会を得ることでアーティストとしてどう歴史と政治と向き合うかということを考えさせられました。タイでは今後研究していきたいと思える「タンブン」という徳を積む行為とそこからくる思想について出会い、話を聞くことができました。私はこの2カ国でのプログラムを通して、自身の制作の原点や立ち位置について考える機会や今後の制作のヒントになり得るものに出会うことができました。
【ベトナム】
ホーチミン滞在時に訪れた戦争跡資料館では、ベトナム戦争当時の現地市民の写真やベトナム内外部の動向を知ると共に日本の当時の活動を知ることができました。現在の日本とは異なる、アメリカに対して意見が出来る関係性があったことを知ったことをきっかけにディン氏と日本とアメリカ、アメリカとベトナムの現在の関係について話すきっかけとなりました。
私は現在の日本人自身が自分の生きる国の現状や未来のことについて考えていないのではと思っており、今自分に何か出来るのかを考えていると相談したところ、ディンは自分がベトナムではじめは小さなアートスペースから始めたように、小さいことから始めていけばいいのではないかと話してくれました。ディン自身の作品で日本の百里基地の人々にインタビューした経験から、日本にも勢力が小さくても行動を起こしている人はいると話し、日本とアメリカの関係についても様々な話をしてくれました。また戦争についても、私たちの世代は時間の距離感ができたからこそ出来ることがあると話してくれました。ベトナム戦争後にアメリカに渡り、ベトナムに戻って国内で制作をする彼ならではの貴重な話を聞くことができました。
また、ホーチミン滞在の際にサポートしてくれた若手作家のデュックの作品も滞在中にコンセプトを聞き、彼が連れて行ってくれたホーチミンのアート関係者が集まるスペースで実際に見ることができました。彼の作品はベトナムの過去と現在に非常にリンクされた作品であり、彼が今その作品を作る強さを感じることができました。自分と近い世代のアーティストの行動にとても刺激を受けました。
そのような現地のアーティストに刺激を受け、よりベトナムを知りたいと思いメンバーの数人でバイクで街を回りました。現地の人のバイクに揉まれながら、ホーチミンの街中から10kmほど南下した小さな村まで走りました。その村は川の満ち引きで毎日家が水没するのだそうで、私達がその村に訪れた時にはもうすぐ水が上がってくる時間で地面から水が溢れてきていました。そのような街中とは異なる生活を見ることも非常に新鮮な経験でした。
ベトナムでは自分の作品は今どのような立ち位置に立とうとしているのか、自分が生きる国に対して何が出来るのかといったことを考えるきっかけを得ることができました。
【タイ】
タイでは、シラパコーン大学の学生との共同ワークショップとウィット・ピムカンチャナポン氏のワークショップ、ジム・トンプソンのライブラリーでのクリッティア氏のレクチャーに参加しました。
シラパコーン大学の学生との共同ワークショップは、グループに分かれて街を回りながら街中で見つけた興味深いものをもとにプレゼンテーションを行うというもので、私はタイ人1名、中国人3名、日本人2名という異色のチーム構成でした。グループで街中散策をした際、タイ・中国・日本の3カ国が共に仏教が国内に存在するので、寺を回りながら共通点や相違点を話すことができました。その中で「徳を積む」という行為が、互いに理解していながら現代では3カ国各々が異なる形になっていることに気づき、それを起点にリサーチを行いました。
その中で、タイの「タンブン」という思想に出会いました。タイでいう「徳を積むという行為」は、もちろん日本でも理解されていますが、それが今でも多くの世代で行われていることにとても興味を持ちました。そして微笑みの国と呼ばれるタイの根源思想を知りたいと強く思うようになりました。そこからタイの学生やブロジェクトをサポートしてくれたタイ人の方々、ワークショップを行ってくれたアーティストのウィット・ピムカンチャナポン氏にもタンブンについて聞いてみました。実際に聞いてみると、タンブンに対する考え方は人ぞれぞれ異なっていました。それは大きな枠組みがありながら自分なりにその解釈をしているのだと思い、自分も自身のタンブンを探求したいと思いました。それは自分が日頃感じてきた「人と物、人と人、人とコトの関係性の融和」のヒントがタンブンにあるように思えたからでした。
ウィット氏のワークショップはタイではバンコクから40km北上した、タイでは非常に重要な川であるチャオプラヤー川に面した場所で行われました。
ワークショップでは川ではカヌーを漕いだり、泳いだりすることができました。夜には川に面する宿から小さな舟に乗って夜の漁をする漁師や、大量の砂をバンコクへ運ぶ運搬船、川の流れに任せて流れる草などを眺め、日の出前には朝の漁をする漁師や舟に乗ってくる僧の托鉢を見る中で、この川が生活の要であること、川と共に生きることがタイの人々の生活にとって重要なことを実際の体験やウィット氏の話の中で知ることができました。
その後バンコクに戻り、バンコクのチャオプラヤー川から朝日や川を流れる草、運搬船を見た時、川によって生活が繋がっていることを初めて実感しました。その遠近法のような不思議な感覚は今後自分の中で重要なものを占めるような気がしています。
ベトナムは約3日、タイは7日という決して長くない期間でのプログラムでしたが、私に多くの経験を与えてくれました。それは単なる経験ではなく、今後の作家人生に大きなきっかけを作ってくれたと思っています。また一緒にプログラムに参加した学生と一緒だったからこそ得られた経験も多くありました。まだ帰国して日が浅いですが、これからゆっくりと咀嚼していきたいと思っています。(先端芸術表現専攻 博士2年)
- 私はこのASAPの参加がきっかけで初めて東南アジア地域であるベトナムとタイに訪れた。はじめに訪れたベトナムではディン・Q・レの住居兼アトリエへの訪問、アーティストビレッジのような制作空間、ギャラリーなどに訪れた。また、ベトナムのアートを学ぶ上で重要なベトナム戦争について戦争資料博物館にも訪れた。こちらはアートという枠組みのみならず、この国について考える時に知っておくべき記録が残されていた。世代、国を超えた歴史を学ぶ時にどうしたら接点を持てるのであろうと考えさせられた。
タイに来てからはシラパコーンの学生との交流を中心に、バンコクビエンナーレなどの現在タイで新たに始まったアートフェスティバルについて考え、意見を交換をし、課題に取り組むこととなった。その活動の中で即興的にグループをつくり、作品プランを立てることとなった。この時に感じられたことが、結局はお互いを国という単位でしかその場では分かり合えなかったという事だ。グループの中で自分は日本人であるし、相手はタイ人だけではなく、韓国、中国出身の人も混じり合い、その中でお互いに個人を理解するにはあまりにも時間が足りなかった。その際に相手の国の印象や特徴のみを捉えていくのだが、それは本当に個人同士の交流と言えるのだろうか、ということが個人的な課題として残った。
上記の活動は事業の中の学生として学んだ点、感想であり、ここからは個人的な感想である。2カ国を渡り、正直なところ自分は東南アジア地域における現代アートシーンを見たいという目的よりも、アートシーンが生まれる国自体の現在を知ることが目的であったため、何か作品を見てそれを理解する事ではなく、もっとベースである地域に着目していた。例えばベトナムの場合、その貨幣価値に驚かされた。普段利用している日本の円で換算していくが、ベトナムのドンは2万ドンで約100円という計算になる。この換算の中で財布の中からお金を出すときのズレを感じたりしながら、だんだんとこの国の生活の感覚を手元から、食べ物などを買うことなどからチューニングしていったように思う。お金というベースはものの価値を決める際に数値化されたものであるが、それがもっと実は生き物的なもののように感じた。このような素朴な日常への興味、関心からアートへのゆるやかなつながりを何かしらの形で昇華できたらと考えています。(GAP専攻修士2年)
- 始めに訪れたベトナム、ホーチミンでは一方では昔からの呼び方サイゴンと2つの名前で呼ばれていることから新旧の文化が健在している町を感じた。空港に到着しベトナムの通貨であるドンの0の多さには驚いた。それから夜のフードマーケットで食べたフォーが一杯300円もしないことにも。今回の長旅の中でホテル代や食費、土産物がやすいことに越したことはない。ベトナムから次の目的地であるバンコクに移動した際にはバンコクも物価は安いはずなのにベトナムのあまりの物価の安さにバンコクに着いてから高いと感じてしまったほどベトナムの物価は安かった。旅行中は特に感じなかったことだが、帰りの空港のチェックインカウンターで小柄で自分よりも若いバイヤーの女性が大量のダンボールとスーツケーツを預けいていた。それから日本に着いて荷物受け取りレーンで同じ女性を見つけた。多くのアジア人が税関職員に声をかけられ彼らの段ボールやスーツケースが開けられ調べられていた。バイヤーの女性は段ボール2つ程没収されることになり女性は必死に訴えていた。中身が何だったのかは分からないが彼女の日本での商売道具だったはずに違いない。長い時間と労力をかけて日本にたどり着いた彼らの持ち物が次々を開けられ、例えばクッションならば中に植物が入っていないか切られて没収される者もいたりと胸が痛かった。ちょうど帰国して3日程たった頃ニュースで日本に来たベトナム人出稼ぎ労働者の栄養失調での死亡者やや自殺者が増えていることを知った。栄養失調については彼らが日本で得た毎月の給料は1、2万を残して全て祖国に送金してしまうため彼らはカップラーメンなど栄養が足りていないことや厳しい職場の環境で自殺者が増えていることを知った。そこで改めてベトナムでの物価について考えてみると、私たち日本人が感じた安いという感覚は一時的なもので、大きく生活には響かないもので、一方そのわずかな値段は現地の人にとってはどれくらいの価値なのか全く予想が出来なかった。そのような環境の中で芸術を見ることは私にとって困難だった。例えばディンというアーティストは写真のかご網のようなタペストリーを制作していたが、その編み方がベトナムの伝統的な編み方であること、なぜ男性でそれなりの収入のある彼が編みを習得したのか、その背景を探ろうとすると日本のように手作業や時間をかけたことが対価にならないこと、通貨の対価はこの国では一体なんなのかという気持ちがいつも頭をよぎった。また旅の中で何か珍しいものを見つけ買って日本に持ち帰るべきなのか、果たして持ち帰られるのか。写真におさめるものなのか考えることがあったようにこのような感覚がベトナムでは敏感に働いていてアートにも作用しているように感じた。ひとつのアートの手法からベトナムという国について考えられたことは、この国のアートの特異点を見れたような気がした。(GAP専攻)
- 今回、このASAPに参加して影響を受けた事が3つある。1つ目は今後アジア人アーティストとして自らの立ち位置をより明確にしなければならないと感じた事だ。ホーチミン/バンコク共に自国を取り巻く社会体制や諸外国との関係性を深く考察し、現代アートの活性化に力を注いでいた。各国で活躍するアーティストは勿論、キュレーターのトークの中で、作品制作や鑑賞者の立場から見ても「歴史」が重要なキーワードとして現れていた。私も実際に日本に帰国して、日本を中心とした歴史の捉え方を解しアジアの中の日本として新たに考察を深めていきたいと考えている。2つ目は現在生活の中で使われている物達が、50年後100年後200年後を生きる人々の目にどのように映るのかという疑問を抱いた事だ。このASAPの中で博物館やアーティストの自宅などでアンティークと呼ばれる物達を多く目にした。その物自体は、保存の状態に左右されつつも現在まで保管されている。私達が生きる現代の物は100年後、どのように保管され残っていくのだろうか。大量生産された物達が時間の流れる中で腐敗とどう関わっていくのか考えを巡らせていきたい。3つ目は、同世代の学生達が自国の文化や人々の生活への知識の深さに驚いた事だ。シラパコーン大学ではリサーチとプレゼンテーションを現地の学生と共に行ったが、バンコク市内を散策する中で寺院に対しての知識から始まり現地の人々の生活の一片一片をとっても私達に説明するタイ人としての自国の知識が豊かであった。私が逆の立場となった時、日本に対しての知識や人々の生活を彼らに同じ熱量で伝えたいと感じた。その知識が、互いに制作や日常生活の中に持ち帰った際に交差し新たな表現方法やコンセプトの定義に繋がっていくのではないだろうか。(修士1年)
- 今回の渡航ではホーチミン、バンコク共にレジデンシ―スペースや美術館、ビエンナーレ鑑賞、有名作家のアトリエ訪問や現地学生とのリサーチ&アウトプットを経て複合的にアートシーンを見る/考えるというものだった。 ホーチミンのレジデンシースペース「A.Farm」では世代が比較的近めの作家が数人滞在しており、国籍も様々だった。彼らの途中制作の作品はそれほど置かれて無かったが、現在世界で半ばルール化されたような政治性というものを持つ作品はあまりなかったように思う。一方、後日伺ったその世代からは離れている有名作家のアトリエでは当然ベトナム戦争のことが登場しており、その近代化に辿った政治的変遷の断片を垣間見た。この二つを見た程度で答えを求めるのは完全に間違っているが、私としてはスペースにいる彼らの政治的意識は少し緩やかな曲線を持って別の方法でそれらの問題へとアプローチしようとしているように見えた。いずれにしてもこれからのリサーチが必要である。 バンコクではバンコクアートビエンナーレを中心に動いた。全作品を見たわけではないが、ポストコロニアリズムをベースにしたような作品や政治的な作品が多くみられ、それらの外観は何かに代弁させているものや暗に示すものが提示されていた。丁寧で周到な手つきによって作品もキュレーションも行われ、余震のように小刻みに震えながらこれからについてを物語っていた。これからもその動向と自身の立場を考えながら見ていく必要があると思った渡航だった。(先端芸術表現修士1年)