ASAP実施報告:韓国芸術総合学校との交流演奏会
July 04, 2018
アーツスタディ・アブロードプログラム(ASAP)とは、国際舞台で活躍できる優れた芸術家の育成を目的として平成27年度に開始した、学生の海外での芸術文化体験活動を促進する実践型教育プログラムです。国際経験豊富な藝大教員陣によるサポートのもと、参加学生自らが主体となり、海外渡航を伴う展覧会や演奏会、上映会、研修への参加、協定校への訪問等プログラムを実施します。 |
実施事業概要
事業名称:韓国芸術総合学校との交流演奏会
実施者:音楽学部 器楽科 ピアノ専攻
渡航先:大韓民国(ソウル)
参加学生数:5人
実施時期:2018年6月(5日間)
成果概要
本プログラムは、韓国芸術総合学校(Korea National University of Arts)との交流演奏会及び相互の教員によるマスタークラスを通じて、両校の芸術交流を深め、国際的に通用する演奏家の育成を図ることを目的とするものである。
韓国芸術総合学校は国際コンクール入賞者を輩出している韓国を代表する学校である。学生同士の交流は、藝大生に大きな刺激をもたらすものと期待されたが、実際、マスタークラス、交流演奏会共に、韓国学生の音楽への愛情と強い表現意欲、そして並外れた意志が感じられ、ややもすると演奏表現における意志やアピールする力の不足を感じさせがちな本学学生にとり大きな刺激となった。
一方、藝大生の演奏は、表現が大人しいと取られかねない面があるものの、作品のスタイルを表出することや、楽曲の構造を明確に伝えるといった面では一日の長があると感じさせられるところも多く、双方の学生にとってお互いの良い面を吸収することができた、実り多いプログラムであったと思われる。
マスタークラスにおいても、優れた芸術家を育成するという最終目標は同じでありながら、演奏心理的かつ実践的なアプローチの重視、音楽史はもとより歴史・文化的背景等、包括的知識の充実の重視と、アプローチの方法は異なっていて、お互いに得られるものは多かったと認識している。
両校の芸術教育は感性や方向性は異なっているが、どちらが正しいというものではなく、相互に学ぶところは大きい。5回目を数える交流演奏会であるが、今後も継続的に行い、国際的な演奏家の育成に努めていきたい。
体験記
- 今回の韓国滞在で印象深かったのは、ホールのオルガンの素晴らしさ、韓国の学生との交流、国境を越えての演奏会、この3点です。 歴史的なオルガンを有する学校である、韓国国立総合芸術大学のホールで交流演奏会が開催され、参加できたことはオルガン専攻の学生として非常に貴重な体験となりました。 KNUAホールのオルガンは北ドイツを中心に17、18世紀に活躍したアルプ・シュニットガーの様式を忠実に踏襲しています。このオルガンは横田宗隆氏とスウェーデンのグループの製作によるもので、歴史的なオルガンのレプリカとして日本でも有名な楽器です。私はこのオルガンに最も適したジャンルの作品を演奏したいと思い、バッハが北ドイツ地方から多くの影響を受けた時代に作曲された前奏曲とフーガ ホ長調を選びました。製作された時代から存在する、という意味での歴史的オルガンは、150年以上前のオルガンが現存しない日本にはありません。また今回のようにある時代の様式に忠実なオルガンも日本には数少ないです。そのような中で今回、KNUAホールのオルガンと触れ合う十分な時間、コンサートでの演奏の機会を頂けたことに感謝致します。 滞在中の過ごし方としては初日、2日目とホールでのリハーサルの時間を頂き、ソウルで開催されていたオルガンコンサートに伺い、ドイツの教授によるバッハについてのレクチャーを受け、韓国のオルガニスト達と交流する機会もありました。またオルガン科の学生とは、リハーサル後や演奏会の前後に、大学のオルガン使用の環境や教会のオルガン事情など韓国と日本の違いを意見交換しました。また友人として親しい交流ができました。 そして3日目の演奏会では、他の出演者の演奏を客席で聴くこともでき、特に韓国の演奏者の表現力の高さ、音色の豊かさに感激しました。フォルテは勿論、繊細なピアニッシモも自分の耳元で鳴っているかのような存在感が常にあり、抒情的であり大胆さを兼ね備えた表現はこれからの私の目標になりました。 (大学院2年)
- この度ASAP事業の一環として韓国芸術総合学校との交流演奏会に参加してきました。近年コンクールなどでの韓国人の活躍は目覚ましく、今回の交流演奏会に参加させていただけることが決まってからとても楽しみにしていました。これまで韓国人の演奏(とひとくくりに語ってしまうことはいささか問題があると思いますが)に対して、勝負に対するハングリー精神、パッションを強く持っているというイメージがありました。実際レッスン、リハーサル、本番と現地の学生の演奏に何度も触れる機会に恵まれ、ひとくくりにしてしまうことは出来ないということも感じましたが、それぞれがある種の熱心さのような熱を持ち、ピアノと向き合ってる姿にとても刺激を受けました。またもう一つ感じたことは言語的な性格の違いが音楽の捉え方や作り方にある程度の作用を及ぼしているのではないのかということです。韓国語には抑揚の付け方にその人の感情的な思いが表れやすいのではないかと感じた場面があり、ふと考えてみると、
日本語は口のなかで話せてしまう言語なのではないかと考えました。そんなところからも韓国人の方の熱を帯び積極性を持った表現が自然発生的に生まれてきているのかもしれないと感じました。しかしながら音楽を奏でるという意識的は万国共通の目標であり、今回の経験を通して様々な音楽観に触れ、多様性を感じられたことは、今後も自分が自分らしく音楽と向き合っていくことに対して、貴重な糧となりました。(大学院音楽研究科ピアノ専攻1年)
- 4泊5日という短い期間ではありましたが、マスタークラス、交流演奏会と様々な場面を通して濃密な時間を過ごすことができました。
<マスタークラス>キムデジン先生のレッスンでは、今の自分にとって必要なことを仰っていただくことができ、ずっとモヤモヤしていた部分がスッキリ解けていくような不思議な感覚になりました。抽象的な表現しかできず、体験記に書くのは申し訳ないのですが、身体の中、頭の中にある音楽をピアノを通して音にするための術を教えていただけたレッスンでした。渡辺先生のレッスンでは、テクニックと表現の結びつきを中心に仰っていたように思いました。現地の学生方は恐ろしいほどのテクニックとアピール力の持ち主ばかりで、僕なんかは脱帽してしまうほどでしたが、想像力が乏しかったり、曲の背景との結びつきがあまり感じられず勿体ないなと思った部分もありました。
<交流演奏会>選曲からも手にとってわかるような国民性の違いを表していた演奏会でしたが、それぞれの音楽性、個性が溢れ出る素晴らしい演奏会だったように感じました。今回初めて韓国人の生の演奏を聴き、今日の国際コンクールでの韓国勢の活躍が著しい理由も身をもって体験することができました。
<観光>韓国の歴史、風土、生活を学ぶことによって、韓国人の国民性、音楽性の成り立ちを少し想像できたように感じました。ソウルでは整った環境と素晴らしい方々と刺激的な毎日を送ることができました。その中で学んだことをこれからの活動に充分に生かしていけるよう、より真摯に音楽に向き合っていこうと思います。(大学院1年)
- 韓国芸術総合学校と東京藝術大学の交流演奏会とのことで、海外の音楽を学ぶ同世代と交流ができる貴重な機会なので楽しみに行きました。滞在2日目と3日目にそれぞれマスタークラスと交流演奏会があり、そこで韓国人の学生達の演奏を聴いたり、交流をしたりする機会がありました。そこでとても印象的だったのは、韓国人学生達の「学ぼう」という意志の強さと、音楽に対する熱意です。自分も真剣にピアノと向き合っているつもりでしたが、韓国人学生を見ていたらどうしてもそこに温度差を感じざるを得ないほど、彼らはとてつもなく熱心でした。また交流演奏会のリハーサルで韓国人の出演者の皆さんの演奏を聴かせていただいたのですが、その時に目の当たりにした彼らの集中力、テクニック、表現、どれも本当に衝撃的なものでした。あまりに凄すぎてリハーサルで私は鈍器で頭を殴られたような感覚になりました。そして私も学ばせてもらえる環境に心から感謝して、もっと貪欲に学ぶべきだと強く感じました。この出来事は本当に自分にとってカルチャーショックに近いものでした。マスタークラスや演奏会がない日は、街歩きや観光もしました。そこで出会った韓国人は皆とてもフレンドリーで、礼儀やマナーを重んじた誠実な方ばかりでした。何事に対してもまっすぐ情熱的な姿勢というのが、韓国人の音楽にも表れているのかなぁと思いました。今回初めて訪れた韓国での5日間、刺激に溢れた本当に充実した時間を過ごさせていただきました。自分にとって大変有意義な旅になりました。このような機会を与えてくださったことに心から感謝します。(大学院音楽研究科ピアノ専攻4年)
- 韓国行きが決まったのが事業の直前だったので、下調べ、下準備不足だったのが悔やまれるのだが、それが逆に先入観を持たずに現地に馴染めることになったと思う。国内で勉強していると同じ環境下で学ぶ学生同士で一定範囲内の情報交換にとどまっていたが、韓国の学生と演奏や会話で(彼らの学生生活や行動を見ているだけで)触れ合うことで音楽の勉強の仕方、姿勢において膨大な情報を得ることができ、その中で自分に必要なものもたくさん見つけることができた。また、韓国の学生の音楽把握に対する熱意、鍵盤への執着心などは、ちょっと国内では出会えないものであったが、後に帰国後、韓国には音楽に関する文献が少ないと聞いて納得した次第である。情報が少ないほど、音楽そのものに集中し、鍵盤に執着することによって情報を得ようとするのであろう。日本では情報が本で得られるから、それだけでもう音楽を知ったような気になっていて、それをまた人に伝えるというそのプロセスに意識が足りていなかったというのが明白になった。交流演奏会の前日にそこに思い至ることができ、演奏会までの間、思考した結果、演奏会ではこれまでと違った心境で曲を捉えることができた。これからの勉強にこの体験を生かしたいと思う。(大学院音楽研究科ピアノ専攻3年)