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ASAP実施報告:シンガポール・ビエンナーレから学ぶ現代美術の潮流

December 09, 2019

アーツスタディ・アブロードプログラム(ASAP)とは、国際舞台で活躍できる優れた芸術家の育成を目的として平成27年度に開始した、学生の海外での芸術文化体験活動を促進する実践型教育プログラムです。国際経験豊富な藝大教員陣によるサポートのもと、参加学生自らが主体となり、海外渡航を伴う展覧会や演奏会、上映会、研修への参加、協定校への訪問等プログラムを実施します。

実施事業概要

事業名称:シンガポール・ビエンナーレから学ぶ現代美術の潮流
実施者:美術学部先端芸術表現科
渡航先:シンガポール(シンガポール)
参加学生数:6人
実施時期:2019年12月(8日間)

成果概要

ラサール芸術大学との共同授業

2年に一度開催される国際現代美術の祭典「シンガポール・ビエンナーレ」の時期に合わせ、本学との提携のあるラサール芸術大学との共同授業を開催した。ラサール芸術大学側では教員のZarina Muhammad氏が中心となり、10人のラサール芸大生が参加し、大変有意義のある内容となった。
初日の最初に本学学生は東京藝術大学と学部、個々の作品について英語で紹介。事前授業で練習した成果が現れた。
Zarina氏によるトーク ”Seeing Southeast Asia from the Gaze of Spirits” ではシンガポール地域の民間伝承における精霊や霊的現象について、彼女のアート作品と関連づけて語られた。さらにアートマネジメント・コースの教員であるSunitha Janamohanan氏による講義 ”Singapore: Learning to Get Along” では、シンガポールのイギリスによる植民地化の始まりの200周年を記念する本年(2019年)、特に議論されているシンガポールの歴史、多民族主義、経済発展などについて、大変興味深い話があった。「シンガポールとは何か」という政治的な問いとその背景の複雑さについて学んだ。
その後、アートマネジメントの学部生の案内で2つのグループに分かれてチャイナタウンとリトルインディアを見学、シンガポールの文化の多様性を体験した。
2日目はZarina氏によるワークショップの後、ラサール芸大生と本学学生の混合グループに分かれて、生物、身体、亡霊、物質などのテーマに焦点を当ててリサーチと制作を行った。
3日目は各グループが作品展示とプレゼンテーションを行った。学生たちの協働は予想以上にうまくいった。ラサール芸大の学生の優しさと面倒見の良さ、本学学生の表現力が融合した結果であった。

ラサール芸術大学とのワークショップ

シンガポール・ビエンナーレ

4日目午前は、シンガポール・ビエンナーレのメイン会場であるシンガポール国立美術館のキュレーター堀川理沙氏に美術館の組織、東南アジアの美術を中心とした展示内容についてお話しいただいた。午後は、ギャラリーの集まるギルマン・バラックスのNTU Centre for Contemporary Art Singapore (CCA)を訪問、展覧会 ”THE POSTHUMAN CITY. CLIMATES. HABITATS. ENVIRONMENTS” を見学。世界で問題となっている環境問題と未来にフォーカスした優れた展示であった。同レジデンス施設滞在中のアーティストの話も聞く。

レジデンススタジオ見学

5日目はシンガポール・ビエンナーレ各会場を各々見学。翌日の午前中にSTPI-Creative Workshop & Galleryを訪問し、版画をテーマに世界各国の優れたアーティストが実験的体験を行うユニークな活動について説明を受けた。

シンガポールビエンナーレ見学

ラサール芸大の学生たちはキャンパス以外でも連日藝大教員や学生と食事や飲みに出かけ、フレンドリーにさまざまな話をしてくれた。藝大生も終始リラックスして彼らと友好を深めることができた。日本とは全く異なる多文化が交錯する環境を体験し、ワークショップを行うことができたのは何よりの収穫であった。シンガポール・ビエンナーレからも、世界で話題となっている課題にアーティストがどう向き合っているか、また「東南アジア」のアイデンティティの模索のありようを見ることができた。

体験記

  • 渡航中のプログラムでは、グループワークを行いました。私は個人的に宗教的な要素や行事、行動に興味を持ってきたので5つあるグループのうち、Spiritualをテーマにするグループに参加しました。そこでリサーチしていくと、まず一番にシンガポールの歴史が非常に曖昧であることに興味をもちました。渡航前、事前にシンガポールの基礎的な知識はリサーチしていましたが、実際にフォート・カニング公園をラサール芸大の学生たちと歩いてみると、歴史の捉え方がずいぶん日本と異なることがわかりました。日本では1つの言語、1つの歴史、という感覚が根強く、歴史は不変の事実であるように語られることが多いように感じます。しかし、シンガポールでは国の歴史が非常に曖昧で、歴史を語るときに時々、真実かどうかはわからないけれど、と前置きすることがとても印象的でした。また、遺跡や遺物が残っていない関係で、モノを残すということよりも、何かがそこにあったという記録を残すことを大切にしているようにも感じました。
    次に街を歩くと、異なる宗教施設が隣接していることに驚きました。今まで何度か海外へ渡航したことはありますが、マジョリティの宗教の合間にその他の宗教施設が存在するといった場所がほとんどでした。そのため、異なる文化を持つ人々が、それぞれの信仰を持ちながらも、各々の信じる対象へと祈りを捧げる姿を見ることができたことはとてもいい経験でした。
    また、ワークショップの作品制作においても、言語や文化などのバックグラウンドが異なる学生たちと1つの作品を制作するという体験は非常に刺激的でした。リサーチした中で、何をどのように表現するかといった取捨選択のすり合わせはやはりとても難しかったです。一方で、文化が異なる私達でも時々、根底的な部分などが合致することもあり、その不思議さを体験できたことが何より有意義な経験であったと考えます。(先端芸術表現科4年)

 

  • 毎日通勤電車で見るあの人の顔もタクシーの運転手のあの顔も、みんな時間を重ねると見れなくなる。そしてそこにいた誰もいなくなった時どのような顔が残るのだろうか。
    私は戦争記録の展示に浴衣で見に行った。入ってすぐドゥーァアン…と空襲の音が再生されている。引き延ばされたセピア色の空襲の写真を見て私は日本が加害者として進攻した昭南島と呼ばれていたこの土地に自分がこの和服を着て立っているためにはどのような権限があって成立しているか不思議に思った。展示物にははっきりとした所在や歴史が記されているのに私は何者なのかわからない。無責任な見物者になっていないか不安になったのだ。
    私たちは記憶や歴史を抹殺することはできない。ましてや再生産されるこれらの物語の正しさを様々な角度から邪魔をせず捉えていくことでしか歴史をつなぐことはできないだろう。無意識の匿名性が歴史や日常生活の中には潜んでいる。私はシンガポール国立博物館からホテルまで帰る際に東京の地下鉄を思い出した。日常の中で乗り物で移動する時でさえ他人と歴史を刻んでいる。乗車時の周りとの関係はシンガポールも東京も大差なく感じる。相手に介入できない。守られている秩序があるのだ。過去の戦争のような経験することのない歴史はそれでも語り継がれている。電車の中の戦争体験の匿名性の責任や権力は似ているのではないだろうか。
    またシンガポール・ビエンナーレでもポストコロニアルを体験し加害者でも被害者でもある日本人としての自分を意識できた。宗教観や作品によって生み出される構図が文化や芸術表現にも色濃く出ているように感じた。それは哲学に伴う感覚として享受できた。博物館で見た展示のように私たち日本人は何者なのか考えるきっかけが多くあり客観的にアジアの中の自分を知ることができた。しかし何もかも変わろうとしている社会で何が残留するかは明確ではない。常に考え続け耳を傾けることを決意する研修となった。(先端芸術表現科3年)

 

  • 前半の三日間は、ラサール芸術大学の学生と、イスラエル、トルコの学生と共同でワークショップを受けた。そこでは、4グループほどのグループに分かれ、グループごとのテーマを決めて作品を制作した。私たちのグループは、「身体、ジェンダー、建築」というテーマだった。ラサール芸術大学の校内を自由に使ってもいいということだったので、まず私たちはどこで作品を制作するかという話し合いをして、結局大学のグラウンドを使うことに決めた。そして、作品の内容を話し合いをして決めていった。
    話し合いの中で、ミシェル・フーコーの話が出てきた。私がジェンダーやフェミニズムの作品を制作しているので、フーコーの本をトルコとイスラエルの学生からおすすめしてもらった。本を読み進めていくうちに、私の作品になにか発展があるといいなと思いながら今読み進めている。作品は、自分たちのスペースを占領し合うゲームのようなもので、それがシンガポールの歴史につながっているのではないかという考えからだった。
    ワークショップが終わると、そのあとはシンガポール・ビエンナーレを見に行った。ビエンナーレを見ていて、移民を扱う作品がとても多いのが印象的だった。特にシンガポールという国はたくさんの移民や、国籍の違う人たちが入り混じっているからなのかと考えた。
    そして、ビエンナーレを見ている時に感じたのは、現代美術はある種、閉鎖的なものなのかもしれないということだった。というのも、ビエンナーレを見に来る人(自分たちも含めて)と、シンガポールのフードコートで働いていたりする人たちとの貧富の差をとても感じてしまったからだ。美術作品においては、移民などの問題がたくさん世の中に出ているにも関わらず、実際の街中ではたくさんの移民の人たちが、格差の中で生きている。ビエンナーレを見ながらシンガポールを歩いていて、このことを強く考えてしまった。美術作品は社会に向けてどんな影響を与えることができるのだろうか。(先端芸術表現科4年)

 

  • シンガポールで最も印象的だったことは、多民族・多文化・多宗教の共生の表と裏です。自身の普段の研究テーマと結びつくので、今後またリサーチに訪れたい国となりました。
    1週間という短い滞在でしたが、最初からラサール芸術大学でのシンガポールに関するレクチャーと、それぞれの関心のあるテーマごとのグループ分けがあり、現地の学生による丁寧なガイドによって、一気にシンガポールの表層から、もう一歩奥のレイヤーに触れることができたように思います。また、アーティスト志望とキュレーター志望の学生がバランスよくいた点も、今回のワークショップが興味深いものになった一因だと思います。
    私は、「スピリチュアルとヒストリー」という普段の研究に近いグループを選択しました。先端芸術表現科学生、マレー系のバックグラウンドを持つ学生、中国系のバックグラウンドを持つ学生の4名で構成されたチームで、最初は様々な民族のお墓がある墓地に行く予定でしたが、最終的にフォートカニングパークを舞台にリサーチと作品制作を行いました。
    限られたリサーチの時間の中で、詳しい背景はわからないまま、私は昼間と夜間に撮影を行い映像作品を制作しました。他のメンバーはそれぞれの得意な分野を生かし、サウンドや写真のスライドショー、テキストを作成し、一つのインスタレーションとしてリミックスしました。
    後日、再びフォートカニングパークを訪れ、バトルボックスという、元イギリスの基地で1時間のレクチャーツアーに参加しました。すると第二次世界大戦時の日本とアジア諸国の暗い歴史を目の当たりにしました。また、その後に訪れたナショナルミュージアムでは、コロニアル時代の次の部屋で、日本軍によるシンガポールの闇の時代という展示室を見ました。日本では語られず、前半の交流では現地の人々から聞くことのなかった生々しい声を、ここで聞いたように思います。
    シンガポール・ビエンナーレはどちらかというと、ベネチアビエンナーレよりは日本の横浜トリエンナーレに近く、全体的な印象と展示作品のスケール感が想像していたより小さかったです。最も印象的だったのは、ビエンナーレの作品の映像機器の不具合もしくは起動手順のミスにより、展示が中止になっている作品が多かったことです。ちょうど自身も日本でビデオインスタレーション作品を発表中だったので、このようなハプニングに作品が見舞われている作家のことを思うと胸が痛みました。この先、自身の発表の舞台が様々な国になっていくことを考えると、誰にでも伝わる指示書作成や作品管理を徹底することの大切さを再確認しました。
    また、その作家や国の文化的・歴史的背景を知らない鑑賞者にとって、コンセプトテキストや配布用テキストの重要性も再確認しました。ちょうど日本で自身が個展開催中ということもあり、制作者としての心理状態が強かったのですが、シンガポール・ビエンナーレで海外から来た鑑賞者として人の作品に向き合うことで、客観的に展示構成に必要な要素を分析することができました。(彫刻専攻博士1年)

 

  • 国籍も違う人が集まって会話しながらひとつのものを作り上げる事は大学の中ではなかなかできないことだと思う。実際に現地に行き案内してもらうと日本にいると感じられないことがあるし、何気ない夜の散歩から自分なりのシンガポール像が見えてきた。
    観光で成り立っている国で歴史の浅い国だから、経済を支える開発された年も大事だしアイデンティティとなる昔の建物も大事にしている。しかし、昔の外観を残す建物も人々の住居ではない。人が住む地区では都市開発のために国が住居を取り壊しにしている問題もあると聞いた。夜には中華系以外の出稼ぎ労働者が工事や木の剪定をし、トラックの荷台に詰め込まれて移動していた。シンガポールには綺麗な国というイメージがあるがそれを支えているのは夜な夜な働く外国人労働者だということ。表の華やかなシンガポールと裏のシンガポールとどちらも見えてくるととても面白い国に思えた。
    シンガポール以外にも東南アジアの問題は異なる宗教や人種がどう共存していくのかに直面し、またグローバルな世界においてどう地域の信仰や伝統を残していくかということに真剣に取り組みアートとして残していこうという作品が多く、歴史やその地域の問題意識を理解するとビエンナーレの作品も鑑賞しやすかった。今までは彫刻的な視点の鑑賞の仕方をしていて映像や写真の鑑賞の仕方がわからなかったが歴史や現状の問題を知る事でアーティストの立場や切り口が掴みやすくなる事で映像や写真もじっくり見る事が出来たし、日本ではなかなか宗教や人種の問題を感じづらいので世界の問題を真剣に考えられる時間を与えてもらって有り難かった。
    違う国を見る事で日本が見えてくることはとてもいい経験だった。歴史の問題は日本の教育では教わらない事があり対戦中に日本が東南アジアで行った事を学ぶ事ができたのはいい経験で今後作品に繋がるかはわからないが海外にある日本の歴史に興味を持った。
    シンガポールに知り合いもできたのでまた行きたいと思う。
    (彫刻科修士1年)

 

  • 渡航準備にて、英語でのプレゼン資料を作成する経験がまず大きな学びでした。自身の制作や思想を英語でまとめる過程で、かなり端的に物事を表現せざるを得ない窮屈さがあり、困惑しましたが、普段自身の人への伝わらなさを解消することとなると経験と実感が、これからのプレゼンや
    制作に活かされるのだろうと感じています。
    シンガポールに到着後、初めにトルコとイスラエルの学生らと挨拶をしました。私の拙い英語力で、コミュニケーションを取ることは障壁が大きく、さらに普段聞いている英語とのスピードや発音の差異に困難を極めました。先が思いやられながら、プログラムが開始されました。結論から言うと、通訳とボディランゲージ、1日・2日と日を重ねるごとに、聞き取りにくかった英語も聞き取れるようになる感覚と自身の口から単語がどんどん出てくることに驚きながら、多国籍のイントネーションの異なる英語をそれぞれで話ならが制作し、自身の言語力の肉付きと表現の幅が広がったように感じています。
    ラサール大学でのグループ制作では、幸せの門を作ろうとユニークで楽しもうとするグループの姿勢にまず驚きました。普段自身が所属する大学でのグループワークとは異なり、皆が気良く足し算が出来ることに情動が動かされました。現地のリサーチも、ラサール大学の学生が中心となり、制作のためのリサーチでありながら、トルコと日本からきた同グループの私たちに観光の立場に立たせてくれ、有意義で実りある制作時間となりました。各々が持ち合わせている技術とアイディア、普段私が所属している大学であれば、消耗しあってしまうことも多いグループワークも先ほど述べたように、皆が足し算を受け入れ、結果として出来上がったものの完成度が極めて高いとうものでは決してない中で学びや新しい思考を齎してくれた、その実感に感動しました。
    ラサール大学での制作ののち、シンガポールビエンナーレの鑑賞に向かいました。いくつかのギャラリーが集まった地域・シティーホール・ナショナルギャラリー、そのほかいくつかの会場を巡り、ベネティアビエンナーレや、日本の芸術祭との異なりとして、問題提起していることが、かなり愚直であること、展示会場が閑散としていること、シンガポールという急成長をした多国籍の人からなる国の豊かさと貧しさ、問題としている視点をまじまじと見せつけられました。通して、政治と芸術のパワーバランス、日本人である自身の本質的な性格や態度、これまで自身では問題提起させてこなかったことを考えさせられる機会となりました。
    (先端芸術表現科)